自分の生い立ちを振り返ったとき、井上陽水さんの存在が欠かせません。
親がカセットを持っていたくらいだったのですが、中学生の時からファンになり、カセットプレーヤーやMDウォークマン、自宅スピーカーでヘビーローテーションしていました。
いつも聴くのは、井上陽水。
ゴールデンアルバムベストなどいくつもアルバムを購入、レンタルして聴きまくっていました。
中学の給食で流すのも、井上陽水。
「アジアの純真」など、みんなが好きなのも流しつつ、
「ロンドン急行」など絶対聴いたことのない曲も流して楽しみました。
カラオケいっても、井上陽水。
同級生が当時流行っている曲を歌ってテンション上がっている最中、からの〜
「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた(傘がないの歌詞)」
で、流れを止めることも、しばしば!
卒業旅行のバスでも、井上陽水。
夢の中へなどみんながまだ知っている曲を歌えばいいのに、
「Make-up Shadow」「人生が二度あれば」「ジェラシー」、少なくとも3曲は熱唱した記憶があります。
(なぜ、そんな時間をもらえたのだろう!?)
誕生日も、井上陽水。
自分の誕生日、8月30日に陽水ファンの掲示板を見ていると、なぜかお祝いがたくさん・・・
「なんでみんな自分の誕生日を知っているのだろう?」と思ったら、陽水さんの誕生日だったのです。
まさかのちょうど40年違いで同じ誕生日という事実の発覚に感動して、涙が出てきそうになったことを思い出します。
コンサートも、井上陽水。
ここまで好きだったらやっぱり考えるのが、コンサート。
中2のとき、なぜか同級生の久保君を誘って、久保君と久保君のお母さんと一緒に行きました。
最後アンコールになったとき、待ってましたとばかりに「夢の中へ」が流れてきます。
当然のごとく、席から立ち上がって盛り上がろうとしたら、立っている人はパラパラ・・・
それもそのはず、平均年齢おそらく60〜70歳だったのではないでしょうか。
自分が珍しいことを、はじめて客観的に自覚した日でした。
受験勉強のお供も、井上陽水。
部屋で大音量で流しながら、そして歌いながら、勉強していました。
おかげさまで無事に志望校に合格したからよかったものの、よく歌いながら集中できていたものだと、我ながら感心します。
今振り返ると、ここが自己形成に大きく関わっていたと感じます。
というのも、当時。
全然歌詞の意味を考えずに、聴いて、歌って、いました。
井上陽水さんの歌詞って、ある意味、ジブリッシュ的なところがあります。
意味が論理的につながっていない場面も多く、よくわからないフレーズが度々出てきます。
かの有名な少年時代の「風あざみ」も、そんな単語ないですからね(笑)
だから、右脳が鍛えられたのではないかと、今の自分は解釈しています。
数学の難しい問いを解くのが、他の成績優秀な秀才より得意だったと塾の先生から後になって言われたことがあったのですが、論理的に考えていたら解けない問題ってあるんですよね。閃きがたいせつというか。
その後も、アイデアだけはどんどん閃く頭になったのは、陽水さんのおかげかもしれません。
変に社会にあてはめられるような枠がつくられなかったのが、いいのか、わるいのか、わかりませんが・・・ふふふふふ
ちなみに、今の年齢になって聴く陽水さんの曲は、斬新そのもの。
色あせない歌詞に、時を超えて、新しさを感じます。
日本初のミリオンセラーアルバム「氷の世界」
これを当時25歳の陽水さんが書き上げ、歌い上げたかと思うと・・・
どれだけ偉大なアーティストなのかを思い知らされます。
これからの夢も、井上陽水さん。
いつか直接お会いしたい、できれば何らかの形で共演させていただきたい。ぼくの夢のひとつです。
世界中の人たちの笑い声を取り入れた、笑い声の音楽を発信するときの楽曲提供なんて夢のまた夢ですが、これはもう勇氣を出して、まずブログに書かせていただきます。
12年前からのアイデアなのですが、それに相応しい自分であれるよう笑進します。
夢の中へ〜♪♪