数日前に聞いた話です。現在、東日本大震災の語り部をされている方が、フランスの哲学者アランの言葉を紹介して「笑い」の大切さを語られているらしいのです。
そして、その方がどうやら「避難所にいた時に神戸からきた青年に聞いたー」と話されているそうで、この話を聞いた方から「もしかして、その青年ってノビーではー?」 と連絡をいただきました。その時のやりとり、当時の様子を記事にしてみました。

もちろん自分だったら感動する話ですよね。
でも実際はどうかわかりません。神戸から避難所に行った方もたくさんいる。
そのため、こんなふうに返事をしました。

ところがここでまさかの情報が。
なんと浪江町の方らしいのです。


浪江町
そう、私が訪問したのは、忘れもしない浪江町の方々が避難されていた施設でした。原発事故があって故郷から離れなければならない。家族や友人もたくさん亡くされて、故郷まで帰れず、慣れない避難所生活で本当に大変だったと思います。少しでも役に立てればという思いで、お尋ねしました。
そのときの写真です。

本当は沢山の素敵な笑顔であふれているのですが、顔が写っているのは控えておこうと思います。
笑いの話を交えながら、笑いヨガのセッションをさせていただきました。
どんなふうに役立てるだろうかとドキドキしながら訪問したのですが、みなさんに純粋に喜んでいただけたことをとても覚えています。目の前には過酷な現実があるけれど、生きていくしかない。ここからやっていくしかない。普通は笑うことなんてできない。
そんな中でも
「笑えるもんだな」
「涙が出てくるわ」
と一緒に笑ったことをよく覚えています。
この写真は最後にやった「蓮の花笑い」のシーンです。
デュオ大久保を結成
きっかけは、福島でお世話になっていた方にご縁をいただいてでした。
今こそ笑いを、音楽を届けにいこう。そういう思いでヴァイオリニストの大久保貴寛(たかひろ)さんといっしょに「笑いと音楽の共演」ということでお訪ねしました。
当時働いていた沖縄にも東日本大震災の避難者の方々がいて、子育て中のお母さん方にラフターヨガ(笑いヨガ)をお届けしてお喜びいただいていたので、きっと役に立ってもらえるだろうとは思っていました。
でも、今回は浪江町の方々の避難所です。現地の避難所で、どこまで笑えるのか。悲しみが深い方と一緒に笑うにはどうしたらいいのか。喜んでいただけるだろうか。祈るような気持ちをもちながら伺いました。
今振り返っても有り難かったなぁと思うのが、やはり音楽とのコラボレーションでした。 大久保貴寛さん(たか兄)が豊かなヴァイオリンの音色とトークで場をほぐしてくださるのです。皆さん、たか兄の音色に癒やされ、感動されていました。
その後に、ノビーによるラフターヨガ。場が温まった上での「笑い」だったから、とてもやりやすかったのを覚えています。そして最後は、リラクゼーションとして、再びヴァイオリンが登場という素敵な構成でした。

フランスの哲学者アラン(本名:エミール・オーギュスト・シャルチエ、1868-1951)は、20世紀前半に活躍した思想家です。彼は数多くの著作を残しましたが、その中でも「笑い」についての洞察は非常に印象的です。
アランは、笑いを人生における重要な要素と捉えていました。
「人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」
先ほども紹介されていたこの言葉。ここにアランの笑いに対する哲学が凝縮されていると思います。私たちは普通、何か良いことがあって幸せを感じた時に笑顔になる、と考えがちです。しかしアランは、笑うこと自体が幸せを引き寄せると言います。
東日本大震災で被災された方々に「笑い」をお届けする。とても大切な機会ですが、ものすごく繊細な場でもあります。故郷を失い、大切な人を亡くし、先の見えない不安の中で暮らす中で、笑顔を作ることは容易ではありません。そういう中で、どうやって笑いの価値を知っていただけるか。笑いヨガをやろうと思ってもらえるか。そのために哲学者であるアランの言葉を紹介した。
書きながら、当時のそんな記憶が蘇ってきました。
「笑えるもんだな」「涙が出てくるわ」と言って一緒に笑った時のみなさんの笑顔が忘れられません。このときの笑顔は、つらい状況だからこそ生まれる、かけがえのないものに感じました。一緒に笑った記憶が心に焼き付いています。
まさにアランの言葉の通り、笑顔になること自体が、笑うこと自体が幸せを呼び込んでいるように思えた瞬間でもありました。
アランは
「笑いは、人生のあらゆる悲劇に対する最良の防衛手段である。」
とも説いています。
人生の困難に直面した時こそ、笑顔を忘れずにいること。笑いがあることは本当に大きな力になります。自分だけでなく、過去の偉人や尊敬する人達、沢山のラフターヨガの仲間を見て実感します。
・自分から笑うことができる。
・笑えない状況でも笑うことができる。
やっぱりこのメンタリティを持っている人は強い。しなやかな強さがあります。
今回の知らせを聞いて、心の奥底から熱くなる感覚がありました。
いつどこで誰の胸に言葉が残って、それが伝わっていくかわかりません。だからこそ、益々大切に「笑い」のことを伝えていこう。そう思わせてもらいました。震災の語り部さんと、また一緒に笑える日がきっとやってくる。新しいモチベーションが湧いてきています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
かけがえのないご縁に感謝です。
その後、語り部の方は浪江町の方ではなかったことが判明しました。
でもおかげさまでこの時の写真を紹介して記事にさせてもらえたので、上の記事はそのままにしておこうと思います。
浪江町の方々と笑いあったことは変わりないので。