はじめに
先日、5月20日に祖母(以後、おばあちゃん)が他界しました。(享年90歳)
誤嚥性肺炎による突然の出来事でしたが、緊急事態宣言が解除されたタイミングだったこともあり、長野に向かって無事に葬儀を終えることができました。
もしこれが一ヶ月前だったら、全然違う葬儀になっていたのだろうと思います。
今回は葬儀を催行できたため、親族も集まれ、それぞれが悲しみに浸り涙することができましたが、もしコロナウイルスの影響で法事ができず、突然遺骨だけ届けられたらと思うと・・・言葉になりません。
僕は普段、感情を出すことの大切さについてもお伝えすることがあるのですが、その意味を自分自身が感じる機会でもありました。
抑圧感情を持ち続けるというのは、心的負担が大きいものです。もし、コロナの影響で悲しみを出すタイミングを失ってしまっている方がいたら、どうにかして、思い切り泣いてほしいと思います。
(これはコロナ関係なく、普段から大切なことなので・・)
おばあちゃんとの笑いヨガ
さて、ブログで今書いていいものか悩みましたが、「おばあちゃんとの笑いヨガ」は、僕の笑いヨガ人生の中でも、本当に大切なギフトを届けてくれました。この経験が誰かの役立つのなら、きっとおばあちゃんも喜んでくれると信じて、書かせてもらいます。
大好きなおばあちゃんが認知症になって変わっていく姿は、つらく、寂しいものでした。
でも、そのおかげで、一緒に笑いヨガをすることができました。
そのおかげで、認知症の家族、親族の思いに触れることができました。
そのおかげで、高齢者向けの笑いヨガに対する思いが、深まりました。
思い出にふけると長々と書いてしまいそうなので、勢いよく書いてみます。
はじめて一緒に笑いヨガをした日
あれから、もう4年は経つかなぁと思います。
おばあちゃんの認知症が悪化して、いよいよグループホームに入るというタイミングが訪れました。
僕は普段、関西を拠点に活動していたため、長野に行けるのは年に1〜2回。
限られた機会を生かしたく、「おばあちゃんと笑いヨガをしたい」という思いを、事前に施設の方にお伝えし、場をセッティングしてもらいました。
それまで、たくさん高齢者施設で笑いヨガを提供して喜んでいただいていたため、絶対喜んでくれるだろうという思いはありました。
しかし、施設に入っている親族とするのは初めてだったため、小っ恥ずかしい気持ちもあったのを覚えています。
当日は、盛り上げるために、ピンクの明るい服を着て向かいました。
そして父や母、親戚を巻き込んで、一緒に中に入って笑ってもらいました。
(右手前の父は、当時すでに息子の影響で笑いヨガにハマり、創始者のカタリア博士からティーチャー資格まで取得済。笑)
いよいよ、おばあちゃんもこれから笑いヨガをと、笑うための準備をしているとき、反応が薄くて笑いが少なかったのです、うちのおばあちゃん。認知症の種類や、度合いによって違いは出てくるのですが、なかなか少なくてフォローが必要な状況でした。
これは、施設の方が撮影してくれていたその時の様子なのですが、全力でフォローしました。写真という形で、思い出のシーンを残してくれていて、本当に感激です。
いよいよ、一緒に笑うタイミング!
まぁでも、これもよくあることなので、やさしくフォローして真似してもらえるよう声をかけました。
笑う発声をするというのも、筋肉を使う、特に笑いは全身運動になるため、準備を大切にするとより笑いやすくなるので。
いつも通りの流れで、簡単な呼吸法を繰り返しました。
体を前に軽く倒したり、腕を上に伸ばしたりしながら、すーはー、すーはー。
腕を前に伸ばしたり、縮こめたりしながら、すーはー、すーはー。
(うん、ここまではバッチリ。)
(少し反応が遅れがちだけど、ついてこれてるぞー。)
(他の人のところに沢山行ったらおばあちゃんが寂しがってしまうかなぁ)
全員向けにリードしながらも、やっぱりおばあちゃんがいつも中心に目に入ってしまいます。普段は浮かばないことも浮かびながら、リードをしていました。
そして、いよいよその時が訪れました。
「はい、では次は同じように息を吸いますが、今度は吐く時に笑いながら息を吐いてみましょう〜!」
こう伝えて、
みんなが一斉に笑うタイミング・・・
おばあちゃんの口から出てきたのは・・・
「はぁ はぁ は は はぁー」
(って、ぶ、ぶんしょうで、書きづらっ!!)
この「はぁ はぁ は は はぁー」
実は、あんまり笑っているようには聞こえづらい「笑い」だったのです。
本当に笑えていたら「はっはっはっはっは〜!」とか「あはははは!」とか「あははっ!」とか、書けるのですが、その発声じゃないんですよね。
「はぁ はぁ は は はぁー」
やっぱりこれが近いかな!?
まぁ、笑っているようには感じづらい、笑いでした。
“自分から笑おうと” する姿
しかし、そんなことは高齢者施設では日常茶飯事です。
いきなり笑えない方もいます。
そして、本当に笑えなかったという人もいれば、
聞いたら実は笑えて楽しかったという人もいます。
中には、まったく反応がない方だっています。
高齢者の方、認知症の方、表現することが苦手な方の場合、表情から感じ取るものと、本当に感じているものが違うことはよくあります。
しかし、笑いヨガをするときに、共通することがあります。
それは、自分から一生懸命、笑おうとしてくれている姿です。
高齢者になると、笑いが減ってしまいがちです。
これは身体的にも、脳科学的にも、社会的にも、様々な理由があります。
そんな中で訪れた「自分から笑う」笑いヨガとの出会い。
認知症の方からしたら、普段使っていない脳、身体、心、感情を動かす、超刺激的な場面です。
前に立ってリードする人の楽しそうに笑う姿に合わせて、同じように笑おうとしてくれるのです。
この時の様子って、本当に美しいです。毎回、感動します。
自分から笑おうとする姿に、なぜかとても胸を打たれてしまいます。
笑うことは、生きること。
これは勝手にそう思っているだけですが、笑うことが生きることそのものだから、そう感じるのかなと感じています。
「笑うことは生きること」と書いたブログが過去にありますが、これだけ息を吐ける動作って他にありません。
息を吐く、即ち、息をすること。
息をする、即ち、生きることそのものです。
息をすれば、全身がイキイキして、生きていけます。
でも、息をしなければ、生きることはできず、息を引き取ります。
その息をするという動作、これ以上ない健康的な動作を、80やら90やらになっても、自分から一生懸命してくれる。
なんて感動的な場面なのだろうと、いつも、いつも、感じてしまいます。
これって、笑いヨガをきっかけに、忘れかけていたものを目覚めさせているような気がするのです。
笑いヨガを通じて、生きようとする本能、生きている実感、生きる喜び、このような、元々心の中にある宝物が光り出している感覚がしています。
繰り返す中で起きた変化
そんなおばあちゃんも、だんだんと笑いヨガに慣れていってくれました。
その日の中でも変化があって、口角はなかなか上がりづらいままでしたが、最後はそれなりに楽しそうにしてくれていたし、実際「楽しかった」とも言ってくれました。
そして、その後、年に1〜2回行くたびにできる限りやらせてもらっていたのですが、
うちのおばあちゃん、なんと行くたびに成長しているのです(笑)
「あれっ!前より、笑えるようになってる!やったねーおばあちゃん!」
こんなことが行くたびに続きました。
施設で笑いヨガはやってないはずなので、ちょっと不思議でした。
・笑いヨガって、頻度少なくても身についていくもんだなぁ。
・認知症になっても、楽しいことは覚えやすいのかぁ。
・認知症になると、言葉は忘れるけど感情は記憶に残るって本当だなぁ。
色んなことが思い浮かんでいました。
しかも、”信克の仕事何か覚えてる?”と母が聞くと・・・
「笑いヨガ!」
と言ってくれるように、いつのまにかなってて。
これには本当に感激でした。
忘れていくことの方が多い中で、そんなに頻度が高いわけでもないのに、新しい概念と言葉を覚えてくれていたのです。(おばあちゃんの娘である)母も、これには特に驚いていました。
他にも、続けていく中で起きた奇跡もあり、こちらの過去記事もぜひお読みください。
おばあちゃんのリードで、施設中から大爆笑を取る、まさかの場面が訪れました。
そして、そこにこれからの介護現場での「笑い」の未来を見ました。
↑ タイトルの割に、超短いです^^
最後に
ぼくはもう、おばあちゃんと一緒に笑うことはできません。
心の中では一緒に笑っていたいと思いますが、目と目を合わせて、手を握って、声をあげて笑うことはもうありません。
「笑い」って、生きている時だけ、身体がある時にだけ味わえる特権なのです。
だからこそ。
生きている時に、笑いましょう。
誰かと笑うには、時に勇気が必要なときもあるかもしれません。しかし、恥をかいてでも挑戦する価値があると思います。
ぼくはおばあちゃんと笑えて、本当にしあわせでした。施設の人に思いを伝えて、行動に移して、やれるだけやって本当に良かったです。
だからこそ!
一人でも、二人でも。
家族とでも、友達とでも。
笑いヨガでも、笑いヨガでなくても。
大切な誰かと一緒に笑いたい、あなたの背中を応援させてください。
さぁ、まずは声をあげて笑う所から!😁
あっはっはっはっはっは〜!!
あははっ えへへへへっ
うふふふふっ
はぁ はぁ は は はぁー 😄
祖母との思い出話、最後までお読みいただき有難うございました!
感謝合笑