「笑えなくても、大丈夫。」原伸介さん

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2015年10月3日、神戸市西区・キャルファーム神戸で開催された「”生きる”サミット2015」にて、メイン講演を原伸介さんにご担当いただきました(当時笑い総研は未設立)。
講演のフィナーレの部分を抜粋し、掲載しています。
☆2016年7月23日(土)は原伸介顧問 特別講演会を開催!

イケイケドンドンだった30代前半

じゃあ僕がどんだけダメな人間だったか、お話ししますね。僕35才までは、ほんとイケイケドンドンだったんですよ。30才のときに、一番最初の本を出させていただいたんですね。それまでの思いがずーっと溜まっていたので、すごい勢いで本が書けたんですね。その本がそこそこ売れたんですよ。それで、ありがたいことに、売れたことで講演に呼んでいただくようになって、また次の本書きませんかって話もきて。

なんなんですかね、職人であることに対するこだわりが強かったせいもあると思いますが、現場を離れるっていうことに抵抗があったんですね。ほんとは伝えたいんですよ、講演に呼んでもらえれば、すぐ行きたい。でも、「お前ほんとにそんなことしてていいのか」という心の声や、ちょっと口の悪い人からは、「原さん、最近は口で炭焼いてるんだって?」なんて言われたりして、逆にムキになって、それまで以上に炭焼いたりして…。

全部ひとりでやってましたから、それだけでもいっぱいいっぱいなのに、その時期に頼まれた講演が学校関係が多くて、「夢は叶う!」って話をしてたんですね。自分がさんざんバカにされて、笑われて、「こんな時代にぜったい無理」とか言われながら、でも炭焼き職人になれました、っていう、夢は叶うんだよっていう話をしてたんですよ。

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ある本を出したことで、まったく笑えなくなる

ありがたいことに、講演の依頼はどんどん増えて、炭焼きも変わらずやっていて、身体ひとつですよね。無理が重なるんですよ。で、身体がおかしいおかしいってなってきて、でも自分のなかでは、自分は中学生高校生の前では、「人間には限界がないんだ!」「夢はかなうんだ!あきらめちゃだめだ!」って言ってる手前、自分が諦められないんですね。

身体は明らかにヤバいってサインを出してるのに、「前向き思考で!」って自分に言い聞かせたり、声に出して「大丈夫!」って言ってみたり。全然大丈夫じゃないんですけどね。よく、「ピンチはチャンス!」とか言うじゃないですか。あれヤバイですね、ピンチはピンチです(会場笑い)
「ピンチはピンチだ」っていう認識をしないと、ほんとに全部折れますから。

で、ごまかしごまかしやってたんですけど、その時、書いてた本のタイトルが『笑顔は無限力』。テーマを一言で言うと、「苦しいときこそ笑おう」「笑っていれば大丈夫」っていう本を書いていたんですね。

講演も執筆もどんどん増えちゃって、炭焼きもたいへんで、でも、この本だけは出さなきゃいけないって思って、最後の力を振り絞って、ついに書き終えた!…その瞬間、何かがポキッと折れてしまって、まったく笑えなくなっちゃったんです。これヤバくないですか? 「笑っていれば大丈夫!」っていう本を書いた著者が、まったく笑えないっていう状況…(会場笑い)

これたぶん3日前の信克くんがその状況ですね。
ラフターヨガ講師してるのに、ぜんぜん笑ってない(会場笑い)
(※3日前に会場変更という緊急事態が発生)

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35才にして初めてわかったひきこもりの気持ち

そうすると何が起こるかっていうと、本はもう出版されちゃってましたから、出版社には申し訳ないですけど、(売れないでくれ!)って思ったんですよ、だって、著者が真逆の状態なんですよ? そんな本、読んだ人からしたら、「この人はいつも笑ってるんだ」って思うじゃないですか。
裏切りですよ、読者に対する。もう怖くて怖くて、人に会えなくなりました。電話も取れなくなりました。恥ずかしながら、僕35才で、人生初のひきこもりを経験したんです。

それまでは、プラス思考で行こうぜ、夢はかなうんだぜ、大丈夫だ、なんて言ってたのに、ポキっと折れちゃったんですね。家を出られなくなっちゃったし、布団のなかに入ってるしかないんですよ。

うちのかみさんは、当時から林業やってましたから、女性で林業やるだけでもすごいことなんですけど、でも何にも言わないんですね、僕に対して。こっちはただただ寝てるだけなのにですよ?

で、ずーっと引きこもってると、布団のなかがジメっとして気持ち悪くなってくるんですね。でもね、布団を干すなんて、元気なときは、なんてことないじゃないですか。でもほんとに布団も干せないくらい、心身ともにダメな状況ってあるんですよね。

僕ね、そのとき反省しました。

それまでは、自分は夢叶わないですっていう人に対して、「それは努力が足りないからだ」「本気が足りないからだ」…って面と向かっては言わないですけど、そう思ってた節はあったんですよ。でもね、頑張ろうと思ってもがんばれないときってあるんですよ。頑張れって言葉がキツいときあるんですよ。「夢は叶う?冗談じゃねぇよ」って自分で思いましたもんね。

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どん底から救われた”かみさん”の一言

ああ俺ってそういう傲慢で酷いことやってきたんだーって思い知らされながら、でもジメジメした布団がどうにも気持ち悪くて、今日しかないと思って、晴れた日に、頑張って干したんですよ。2階に寝室があるんですけど、となり見たらかみさんの布団も敷いてあるんですね。いくら引きこもりだからって、自分の布団だけ干すってのはないよなって思ったから、かみさんの布団もえいやーって干したんですよね。で、干した瞬間に気付いたんですよ。干してる間は、入る布団がないって(会場笑い)

そのあと所在なくうろうろしてね、家の中を。早く乾かないかなって。2、3時間たって、取り込んで、また布団に入るんですね。
しばらくして、かみさんがかえってくる音がする。車の音、玄関のガラガラって音がする。で、1階で自分の食事を作ってる。自分は相変わらず布団の中で。しばらくすると、トントントンて階段を登ってくる音がして、ガチャって寝室のドアが開きました。そんときにかみさんがこう言ってくれたんですね。それまで何も言わなかったんですよ、ひきこもってる間。そのとき初めてこう言ってくれたんです。

 

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「あ、干してくれたんだ、ありがとう」

 

って。

すげーびっくりして。マイナスを指摘しようと思ったら、何言われても仕方ない状況ですよ。今日もまた寝てたの? 男のくせに、もっと頑張りなさいよ、しっかりしなよ、とかね。

何を言われたってお手上げの、いいところなんてまるでない人間が、たったひとつやった、布団を干したこと、その一点だけにスポットライトを当てて、感謝してくれた。

マイナススパイラルって、最後は、「俺なんて生きていないほうがいいんだ」ってところにいっちゃうんですよね。でも、こんなどうしようもない自分に、それでも「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだっていう事実が、その時どんだけ自分を力づけてくれたことか。

ですから、もしみなさんの周りに引きこもりだとか鬱だとかそういう状況で、苦しんでいる人がいたら、何か簡単な頼みごとをしてみてください。頼みごとが大きいと逆にプレッシャーになっちゃうんで、テーブル拭いて、とか、とにかく簡単な頼みごとの方がいいです。

で、やってもらえたら、大げさなくらい感謝してみてください。これ、芝居じゃダメですよ。心底、感謝してください。ありがとうね、助かったよ、って。人って、どん底の時に感謝されると、自分は生きてていいんだっていう許可をもらったような気持ちになるんです…僕は、なったんですよ。

「干してくれてありがとう」…それが嬉しくてねー、その後、晴れるたびに毎回布団干してたら、「傷むからやめてくれる?」って言われて(会場笑い)

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“かみさん”に教えられたしあわせの秘訣

それくらい人を変えますよね。で、ようやく少し元気になったんですけど、ふと、ちょっと元気になったときに、冷静になったときに、怖くなったんですね。そもそもなんで、かみさん、何も言わないんだろう? もしかして言わないだけで、我慢の限界にきてるんじゃないかって。
だって恐いじゃないですか、ある日突然、紙切れ持ってこられて、「ここにハンコ押してくれたらいいから」とか言われたら。

だから、勇気出して聞いたんですよ。
「ワシがさぁ、何もしないで引きこもってんのに、なんで何も言わないの?」って。

彼女の答えはシンプルでしたね。

 

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「え? だって何も期待してないもん。」

「…だよね~!」みたいな(会場笑い)

だよね~、ですよね。でもすごくないですか? 人って勝手に(誰かに)期待しといて、期待通りにならないとあいつはダメだとか裏切られたとか、言うじゃないですか。
でも彼女は僕に何にも期待してなかったんで、布団干したときに「ありがとう」って言えたんですよ。

なので、期待値は低く! 幸せのハードルはどこまでも低く!(会場笑い)

これはほんとにね、幸せになる秘訣だなって学びましたね。

みなさん、減点評価はやめましょう。日本人は勤勉で真面目な人が多いからか、できて当たりまえ、できないと「なんでできないんだ!」って減点していくじゃないですか。これね、誰も幸せにならないと思うんですよ、減点評価って。

もう一度言いますよ。

期待はしない! 幸せのハードルは低く!

普段からそういう心構えでいると、何かしてもらったときに「すっげー!やってくれちゃったの!」ってなりますから、言った自分も幸せ、言われた相手も幸せ、みんな幸せじゃないですか。この循環ができれば。

昔、褒めることがご神事だった日本人って、それ知ってたはずなんですよ。お互いに褒め合って、「素敵だね」「君こそ素晴らしいね」って。だから我々ももっと互いに褒め合ったら素敵だと思うんです。減点評価手放して、期待値ゼロの加点評価に変えたら幸せだと思うんですよ。

例えば、「物忘れひどいな」じゃなくて、「忘却力すごいね」とか、「空気読めてないね」じゃなくて「KY力(りょく)高いね」とか(会場笑い)、いくらでも言い換えができるはずなんですよ、褒めようと思えば。

話、戻しますね。かみさんに「ありがとう」って言ってもらったことで少しだけ力を得て、ようやく外へ出ようという気になったんですね。外っていうのは要は炭焼き山ですね。気がかりでしたから。

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聞こえた、二度目の山の神さまの声

炭焼き山は僕しか入らないので、僕が行かないと山が荒れちゃうんですね。窯場だって荒れてしまう。だから、とにかく山が気がかりで、でもまだ独りで行く勇気がなかったので、ウチに小次郎っていう犬がいるんですけど、あ、犬と言ってもペットじゃありませんよ、かみさんが猟に連れて行く猟犬です。ウチのかみさん、冬場は鉄砲担いで山に入ります。猟師もやるんです。で、その猟犬の小次郎を連れて炭焼き山に行ったんですね。

…山、荒れ放題でした。

あまりの荒れように、いたたまれなくなっちゃって、山の入り口で立ち尽くして「申し訳ありません」って、山の神様にお詫びをして。

炭窯までは上り坂の山道を歩いて行くんですが、道は落ち葉だらけ、窯の前も落ち葉だらけ、それを掃除をする気力があればまだよかったんですけど、掃除する気力すらなかった。
炭窯に向かって「ごめんなさい」って頭下げて背を向けると、あとはもう逃げるように来た道を下りながら心の中で何度も「ごめんなさい」って唱えつづけて…その道の途中で、声が聞こえたんですね。

実は、ちょっと話戻りますけど、『笑顔は無限力』っていう本を書いたきっかけも山の神様の声だったんですね。
独立して三年目のいちばん大変だった時期、山で声を聴いたんです。炭を焼いてもまったく売れない、未来の見通しが全く立たない、でも窯を止めると炭の質が落ちるから焼きつづけなければならないというものすごいきついスパイラルに入って、いよいよもうだめだって絶望のどん底に落ちて、山の中でへたり込んでるときに突然、「笑え!」って声が聞こえたんですね。

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瞬間、「冗談じゃねーよ!笑えるかよ!」って思ったんですけど、「でも確かに、もう笑うしかないよな」とも思って、ためしに笑ってみたんですよ。

と、どうなったか。おもしろいですよねー、《笑い》って、人の心をリセットする力があるんですかね。最初やけくそだったんですよ、どうにでもなれ!って開き直って笑ってたのが、30秒超えたあたりで、ふと、我に返った瞬間があったんですよ。「こんなところで、なにやってんだ、俺?」って、思ったんですね。

マイナス10℃近い真冬の山ん中で、20代の男がひとりで大声で笑ってるわけですよ。コレ、明らかにおかしいですよね? で、おかしくなってきちゃって、1分すぎてきたら、楽しくなってきちゃって、1分30秒過ぎたらもう絶好調(会場笑い)

で、2分になろうかという時に、みなさん経験ないですか、笑い過ぎて死にそうになるっていうの。涙まで出ちゃって(会場笑い)

今度は必死で笑うのをやめて、頭の手ぬぐいを取って涙を吹いた瞬間、「あ、俺まだ大丈夫だ」って思えたのが強烈な体験だったんです。それがあったから、『笑顔は無限力』っていう本を書いたんです。笑っていれば大丈夫、つらいときこそ笑おうよって。

でも、さっきお話ししたとおり、その後まったく笑えなくなって、引きこもりになりました。で、久々に山に行って、荒れた山と炭窯を前にして申し訳なさにいたたまれなくなって、逃げるように山を降りているときに二度目の声が聞こえました。信じてもらえなくていいんですが、はっきり聞こえたんです、背後から。こう聞こえたんですよ。

「いいんだよ、来たいときにおいで。」

って。

僕ね、あんまりリアルに聞こえたんで、振り向いたんですよ。でも誰もいないんですよね。で、体の向きを戻した瞬間、理由はわからないけど、涙が止まらなくてなって、立ってられないくらい号泣しちゃって、しゃがみこんじゃったんです。

そしたら、その異変に気付いた小次郎が近づいてきて、僕の涙をペロペロってなめてくれたんですよね。これ素敵な話に聞こえると思うんですけど、たぶん、塩分がほしかったんですよね(会場笑い)

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笑えなくても、大丈夫。

で、涙をなめてもらったことで我に返って、しゃがんだまま顔を上げたんです。そしたら澄みきった冬の空を、気持ちよさそうに流れていく雲が見えたんです。それ見てね、また泣けたんです。なんでかって言うと、僕ね、その当時、15年炭焼きやって山に通い続けてましたけど、空見たの初めてだったんですよ。

山に入るときは、今日も山仕事しんどいなってうつむいて入る。夕方帰るときは疲れきってうなだれて山を下りる。雲なんて、顔を上げりゃいつだって見れるじゃないですか。 なのに自分は、顔を上げて空を見る余裕もないほどひたすら自分で自分の背中を押しながら山に通いつづけてたんですね。誰も励ましてくれないし、誰も褒めても叱ってもくれないから、自分で何とかするしかなかったんです。
でもね、ほんとうは知ってたんですよ。ずっとずっと、心のいちばん深いところは泣きたいほどつらくて仕方なかったことを。でもそこと向き合ってほんとうに泣いてしまうと自分が根底から崩れてしまうこともわかってたから、泣けなかったんですね。自分の弱さと向き合える強さが自分にないことも知ってたんです。
そうやって15年間、ずっとひとりでやってきて、心がパンパンになってたんでしょうね。それが一気に折れて。

でも、山の神さまに「いいんだよ」って言ってもらって、許された気がしたんですよね。許されたんじゃなくて、自分で自分を許してあげられたんですね。
まぁ同じことなのかもしれませんが。

初めて自分で自分を許してあげたときに、涙がとまらなくなったんですね。「俺よくやってきたじゃん」って。なんかわかんないけど、しゃがみながら泣いていた自分を、山の神さまに後ろから優しくだきしめてもらったような、そんな気持ちになりました。

でもそれまではずっとこんな風に思ってました。
向上心という言葉が大好きで、「満足したら終わりだ!」って。

だから周りに「無理だ」って言われながらも夢をひとつ叶えると、自分を褒める前に、次の夢、次の夢、次の夢…。そう思って、満足することを忘れていたんですね。

それが、「よく頑張ってきたじゃん、15年間ずっとひとりで。大したもんだよ」って初めて自分を褒めてあげられて、気持ちがすーっと軽くなったんですね。

山を下りて家に着いたとき、もっと自分を褒めてあげようと思いました。で、寝る前に布団の中で、自分で自分を抱しめてあげたんですよ、物理的に、こうやって(両腕を前で交差させて)、「良く頑張ったじゃん!」って。

これ今日からみなさんも実践できますので、ぜひやってみてください。

頑張ったかどうかなんてね、「自分なり」でいいと思うんですよ。人と比べる必要なくて、今日一日、自分なりによく頑張ったと思ったら、自分をうんと褒めながら、自分を抱きしめてあげてください。

で、そうやって布団の中で自分を抱きしめてあげた瞬間、言葉が降りてきたんです。

 

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それが、「笑えなくても大丈夫」だったんです。

振り返ればその10年前、山の神様に「笑え!」って言ってもらって山の中で大笑いした時、「笑っていれば大丈夫」というメッセージをいただきました。そして今度は、「笑えなくても大丈夫」ってメッセージをいただいたんです。

いいですか、みなさん、いきますよ。

笑っていれば、大丈夫。

笑えなくても、大丈夫。

ならば…
何があっても、大丈夫。

じゃないですか!

笑うことで、明るく前に進む力が湧いてくるときは、笑って前に進めばいいんです。

でもね、人って、泣くことによってしか心が開放されないときってあるんですよね。そういうときは無理に笑う必要ないんですよ。思いっきり泣けばいいと思うんです。自分を許して認めて抱きしめてあげられるまで泣けばいい。

今、僕の中でそれがグルーって一周して、「どっちにしても大丈夫なんだったら、残りの人生、できるだけ笑っていこう」っていうところにきています。

だから、今はほんとに笑っています。笑えなくても大丈夫なんだから、笑えなくなるまで笑ってりゃいいなって。どうせ大丈夫なんだから。

あ、時間ですね、時間。じゃあ今日の締めみたいなことになりますけども、最後にひと言、みなさんにお伝えして、この講演を終わらせていただきたいと思います。

「…原伸介、43歳、まだまだ彼の挑戦は始まったばかりだ…。」

♪情熱大陸エンディングテーマソング♪

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(会場笑い)(会場拍手)原伸介さん退場

※7月23日(土)に京都の伝統の京町家ちおん舎にて、原伸介顧問 特別講演会を開催します。

 

《信濃白炭 炭師 原伸介氏・プロフィール》

1972年 横浜生まれ・横須賀育ち
遊び場だった里山がつぶされた14歳のとき「将来は山に生きて山に恩返しする」ことを決意。高校時代の希望職業は『仙人』。
1991年 仙人を目指し信州大学農学部森林科学科入学。
1995年 信州・四賀村にて大正15年生まれの山師・ 伊沢衛に出逢い、その生きざまの美しさに一目惚れして弟子入り。 伝統的炭焼き技術を学ぶ。
24歳から29歳まて全国各地で炭焼き修業。国宝級名人に技術と心構えを学ぶ。
炭焼き歴21年目になる現在も、伐採から搬出、炭焼き までの全てを一人で行う傍ら、2011年より「遊びはご神事」を掲げ、日本文化を《遊び》で学ぶ『日本おとなの遊び塾』を開塾。日本の伝統技術や伝統文化の素晴らしさを伝える活動にも命を燃やしている。普段から和装で暮らし、洋服は持っていない。

著書:『山の神さまに喚ばれて』《修行編》《独立編》(フーガブックス)
『笑顔は無限力』(文屋)
『生き方は山が教えてくれました』(かんき出版)

(株)柳沢林業社長顧問
公益財団法人修養団 特別講師
『日本おとなの遊び塾』塾頭
(株)笑い総研顧問

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