笑い総研代表 大久保信克の「原点」にある思いと、今見つめる「日本の笑い」

はじめに

いつもありがとうございます。
株式会社笑い総研 代表の大久保信克です。

2019年4月15日で、笑い総研は設立して3年が経ちます。

いよいよあと1ヶ月と少しで平成が終わり、新たな元号と共に新しい時代の幕が開ける2019年。
笑い総研も4年目を迎えるにあたり、自分自身の「原点」に還り、「笑い」を見つめ直しました。
そして、会社として大切にしていくことを、据え直しました。

時代がどれだけ変わっても、変わることのない原点にある思いと、そこから見える「笑い」を共有させていただきます。

 

原点の思い

高校生の頃。当時16歳のわたしは、ラグビー部に所属していました。
今より10kg以上ありましたが体は小さい方で、何か自分を変えないといけないと思い、
自分のメンタルの弱い部分を克服するために、いつしか自己啓発書を読みはじめました。

そんなある日、わたしは、書店で新渡戸稲造の『武士道』を手に取ることになります。
今思うと、この書物との出会いが、運命の始まりでした。

『武士道』は海外の人に日本精神を伝えるために英語で書かれた本で、内容の素晴らしさが評判でベストセラーとなり、逆輸入で日本語に翻訳された有名な書籍です。
主に、昔の日本人が大切にしていた「仁」「義」「勇」「智」「信」などの徳目や、武士(=人)としてのあり方について書かれているのですが、そこには心の底から感動を覚えるような、徳を感じる、高い人格を持つ日本人の姿がありました。

そこから影響を受け、内村鑑三著『代表的日本人』や、境野勝悟著『日本の心の教育』など、名著から現代書に至るまで様々な書物を読むようになりました。その中で、純粋に日本の歴史文化や偉人の存在を知り、心の底から感動し、尊敬し大切に思うことが増えました。

しかしその一方、高校生ながら国会中継などを見て、武士道で描かれる日本人像とは大きく変わってしまった今の日本のリーダーの姿や、今の日本の現状を嘆き、「なぜこうなってしまったのか」「今の時代に生きる自分には何ができるだろう」と、思うようになりました。

 

先人から受け取ったもの

その中でも、最も強く抱いた感情は、「先人に対する申し訳なさ」「先人の無念に対する憐憫(れんびん)」の気持ちでした。
数々の戦争や動乱を、どういう思いで生き抜いてきたか、どういう思いを後世に託して亡くなられていったか、特に後者の「後世に託されたもの」を感じると、こみ上げてくるものがありました。

当時を生きていた人達の気持ちになると、当たり前の今が、ものすごく空虚なものに感じ、悔しくて涙が出てきたこともありました。

 

託された「思い」や「祈り」に応える。

中でも、更に思いを強くしたのは、特攻隊員の方々の生き様を知った後でした。飛び立つ前の遺書、お母さんやお父さん、兄弟姉妹に宛てた手紙を読みました。

当時の自分と同じくらいの年齢の特攻隊員がたくさんいました。
それなのに、まるで違う立派な哲学を持って生きていて、それは同年代とは到底思えない姿でした。

特攻隊員の方々の遺書を読むと、そこには自分のためではなく、家族や国を思う気持ちが詰まっていました。
そんな姿を知れば知るほど、小さいことで悩んでいる自分が情けなく思いました。

特攻隊、それは大切な、一人一人の命です。
飛び立たなければ、もし生き残っていたら、どんな人生を歩んで来れたか。
ひとつの命には無限の可能性、夢が詰まっています。

一人一人が、どんな思いで飛び立っていかれたのか。特に、生き残る日本人、後世の日本人に対して、どんな思いを託されていたか。そして、何を祈って飛び立っていかれたのか。

わたしは、その「思い」や「祈り」を受け取りました。当事者である、後世の日本人に託されたものを。

それは、

世界の平和であり、日本人のしあわせであり、
そして、「生きる」ことのできる何気ない毎日だったのではないか。
そう感じています。

託された「思い」や「祈り」に応える。
これがわたしの原点にある思いです。

 

特攻隊員の笑顔

「日本人にとっての笑い」「日本の笑い」
いつかこんなテーマで講演ができるようになりたいと、何年か前に思ったことがありました。

「笑い」で岩戸が開けた「天の岩戸開き」からはじまり、
落語を中心とする江戸の大衆文化や人々の笑い、
神道や仏教が伝える笑いのメッセージなど、様々な角度から「笑い」の考察を深めた上で、
最後のテーマが、特攻隊員の笑顔。そして現代へと続く流れでの講演です。

ただ、わたしは「まだ自分にはこのテーマで語る資格がない」と、踏み出せずにいました。
それは、最も勇気がいることであり、最も自分が試されることがわかっていたからだと思います。様々な見方がある世の中で、批判や反論に気にして、特攻隊員について語ることから逃げていた気がします。

しかし、今はここに触れずして前には進めない。そういう気持ちです。

特攻隊員の方々は、なぜ明日死ぬという究極の境地であっても笑顔でいられたのか(もちろん涙も共にありました)。
どんな意味、どんな思い、どんな気持ち、どんな背景があっての笑顔なのか。

そこに答えはありません。わたしたちは遺された写真や遺書を通じて、わかろうとする、想像することしかできないかもしれませんが、そこに思いを馳せることそれ自体に意味があるのではないでしょうか。

それは必ず、今につながっていきます。

 

今の時代において、いかに笑って生きるか。

生きているのは、今、この瞬間。

この「今」は亡くなられた方々が「生きたかった今」であり、
いつかは亡くなる自分自身が「生きたかった今」にもなるのだと思います。

過去に思いを馳せることは大切。

 

その上で、今をどう「生きる」のか。

一人一人がどう「命」を全うするのか。

そして、どんな「笑い」と共に生きるのか。

 

「日本人にとって笑いとは一体何なのか」

笑い総研としても、私自身としても、このテーマから、改めて「笑い」を見つめ直します。

あなたも共に見つめ直しませんか。

 

艱難辛苦は美の感動

この言葉は、琉球舞踊の大家である赤嶺正一先生から教えていただきました。
沖縄で働いていたときに大変お世話になったのですが、先生の歴史を遡るとそれはもう波乱万丈の歴史でした。

しかし、その苦労や困難が、美の感動を生み出すということなのです。
事実、それを乗り越えて舞われる赤嶺先生の姿からは、美の感動がにじみ出ていました。

ある有名な歌手の方はこう話されました。

「当時は本当に辛くて苦しい思いをしたけれど、その経験があって今の自分、歌がある。今、たくさんの人に感動していただけるのは、それを乗り越えてきたからこそ。すべてギフトだったと今は言える。それがなければ今のわたしはいない。」

ひとつの人生を生き切るには、ドラマの連続です。
同じシナリオなんてどこにもなく、生々しい人間劇場が、今も世界各地で繰り広げられています。

艱難辛苦が訪れたとき、そのまま艱難辛苦と捉えるか、ギフトと捉えるか。
どうしても時間が必要なことも、そう簡単にギフト思えないことも多々あるのが現実かもしれません。

しかし、最終的にどう捉えるかは、やはり自分次第。

あなたは、どんな「目」を持ち、何を見つめ、生きていますか。

 

最後に

「日本の笑い」「日本人にとって笑いとはー」「笑いから見つめる命」「自ら笑って楽しく生きる」etc..

笑い総研では、このようなテーマをベースにした、研修や講演をこれからさせていただきます。

企業研修、講演、セミナーやワークショップ形式での開催など、ご要望に応じて対応致しますので、興味を持っていただけましたら、問い合わせいただければ幸いです。(メンタルヘルス対策、健康経営の一環、コミュニケーション研修としての御依頼も引き続き承ります。)

尚、研修・講演内容には、下記内容を含めることも可能です。

・「解体新笑」笑う動作を徹底解剖
・視界が変わる「笑いの名言20選」
・笑いがもたらす健康効果と、命の物語。
・言語から見た笑い。大和言葉・漢字・英語・仏語etc..
・笑いの神様ゑべっさん信仰が伝えるもの
・笑える職場が日本を変える。頑張らない勇気をもつ。
・脳科学×笑い
・言葉の奥にあるもの etc..

また、体感型のワークでは下記内容を取り入れることが可能です。

・身体動作のワーク(姿勢、表情筋、発声など笑うための体の準備)
・ジブリッシュ(思考を手放す、抑圧感情を解放する、非言語コミュニケーションの練習など)
・笑いヨガ、ラフターヨガ(日々笑えるエクササイズ、ストレス発散、潜在能力活性など)
・スキップ(意外と深いスキップの世界を知る、体感する。ゑびすきっぷ)
・アホ!体験(もう、笑うしかない!境地を知る)
・マインドフルネス瞑想、ハート瞑想、内観  etc..

以上です。
どうぞ気軽にお問い合わせください。

今回は「日本の笑い」がテーマでしたが、次の記事では「世界の笑い」を書きたいと思います。

笑いは世界の共通言語。言語・国境・宗教、すべてを超えて人と人とがつながっていく。
意味のない言葉を口に出す「ジブリッシュ(Gibberish)」のコミュニケーションツールとしての活用にも、わたしは可能性を見ています。言葉が通じていないのに、自然と笑ってしまうジブリッシュ。活用法も様々です。
画期的なアイデアを用意しました。日本から世界に新しい「笑い」の文化を提案します。

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